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1999/Dec/2 (Thu)
ダイジェスト版
さてさて、忙しさにかまけて、しばらぁく更新していませんでした。
それでもほぼ毎日だれかがチェックを入れに来られたようで、さすがにまずいかなと。(^^;
というわけで、また日記を再会します。
まずは、更新が止ったあたりからのダイジェスト(でも長い)を。
今後、毎日更新になるのであろうか?
- 10月の後半〜11月の頭
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Offer の手紙とともに来た、サインをしなければいけない書類について Lawrence Berkeley National Lab. とやりとり。
分からないことは直接電話をしたり、e-mail で問い合わせたり。
東海岸と西海岸では時差が 3時間あるので、ちょうどこっちが食事に行く前位が向うで人が働き始める時間。
で両方の働いてる時間が重なる部分が、こっちの昼過ぎから夕方位までだった。
あとは、今居る実験グループから去るのでその手続き関係のことをしたり。
- 11月8,9日
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CERN(ヨーロッパ合同の素粒子・原子核研究所)での実験グループの一つである NA44 グループのミーティング @ BNL。
(NA44へは広島大にいた頃に実験に参加して、解析をしてその結果で博士号をとった。)
今回のは、Paper committee を開くためで、論文の草稿(paper draft)を書いている人と、その草稿を評価して助言を与えてくれる人 (committee member)になってる人が集まった。
話してることは、各 draft について文章の表現がどうだとか、この図はこういう風に書いた方がいいとか、この分の物理の議論はこうしようだとか。
NA44 groupでは、論文が雑誌に投稿されるまでは大体以下のような流れになってます。
- データの解析をする。
何の物理について解析したいかは、それぞれの個人の自由。
テーマが重なっててもかまわない。
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解析した結果について、Collaboration meeting (年何回か group の member が一ヶ所に集まってやる meeting)で発表して、 group 全体への報告を行う。
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大体 data 解析も終わって誤差の見積もり等も終わった段階で、解析していた人が論文の草稿を書く。
草稿が出た後に行われる Collaboration meeting でその草稿の内容を議論するための委員会 (Paper committee) が組織される。
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Paper committee の member から、あーだこーだといわれる質問や sugestion について、答えたりそれに従ったり反論したりする。
それらのPaper committee の意見を元に paper draft を書き直して新たなバージョンをつくって、committee に提出。
この過程を何度か繰り返していって、あるところで committee だけではなくて collaboration wide になって group member 全員の目の元に現れるようになる。
Collaboration wide になると、committee 以外からも意見や質問が出てくるのでそれに答える。
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投稿しても大丈夫と paper committee が判断して初めて、論文が学術雑誌に投稿(submit) される。
学術雑誌に投稿したからといって安心ではなく、今度はその雑誌の Referee からいろいろ質問が帰ってくるのでまだまだ先は続きます。
今回の paper committee の meeting では、自分の書いた paper draft について、英語表現と何の物理を議論して結論とするかについて指摘があった。
英語表現については、native speaker の助けを借りなさいとのことで、Ian(デンマークのニールス・ボーア研究所のPostDoc)が名乗りを挙げてくれて、物理の議論については Barbara(State University of New York at Stony Brook の professor)が細かい点について話をしたいというので、それぞれと appointment をとっておいた。
- 11月10-17日
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10日は、Phenix group の computing meeting に出て、清道君のサポート。
その日の夜に JFK の側のホテルへ行って一泊。
朝 7時の飛行機でSan Francisco まで行って、そこで乗り換えて関西空港へ。
関空行は、直行便が無いのでしょうがない。
大阪について(12日)からは、一泊して次の日 PPJ(Dremas Come True の Mailing list)の友人と遊んでから、親の所へ。
家についたのが夜中だったので、とっとと寝る。
次の日、アメリカに送るものを探し出す。
基本的に本ばっかりなんだけど、東広島を引き払ったときに持って帰って積んであったもののなかから探し出すのは大変だった。
あと、弟夫婦の息子、涼吾と初対面。
生後二ヶ月位、むちゃくちゃかわいい。
それと、母親がかなぁ〜り、婆馬鹿になっていた。(笑)
その晩は、全員で母親の実家へ行って、自分の一時帰国+就職報告と涼吾の顔見せをして、食事。
15日。
荷物をまとめて送る準備をしておいてから、広島大学へ行ってみる。
前いた研究室へ顔を出して、宮村さんとかに挨拶。
夕方、蜂谷、中村、小浜と食事に行ってから、家に帰った。
16日。
J1 visa の所得のため大阪のアメリカ総領事館へ行く。
受付は 9時から11時までだったので、それに間に合うように朝早く家をでて親に送ってもらった。
大阪に着いたのは 9時過ぎ、そこから領事館までは歩いて行った。
前回 B1 visa を取りに来たときとは違って、人が多く窓口にたどり着いたのは11時過ぎだった。
窓口で、J1 visa の申請の書類 IAP-66、visa の申請書 OF-156、パスポート、写真を提出。
係員に確認されたことは、誰が旅費をサポートするのか、と言うことくらいで、「はい。では 3時半に来てください」と言われて終り。
やはり、留学とは違って、研究所に雇ってもらえる場合のビザの申請はそれほど手間がかからないらしい。
時間までは、心斎橋に行ってうろうろして、昼食は神座でラーメン。
領事館で J1 visa の張られたパスポートを受け取った後は、ホテルに行ってチェックイン。
梅田の辺で食事をしてホテルに戻ってとっとと寝た。
17日。
ホテルをチェックアウトして、日本橋に向かう。
弟から使わなくなった PlayStation をもらったので、今日はここでソフト探し。
中古を買うつもりで、店を端から見て値段をチェックして、一番安かった店で買った。
買ったのは、DDR, DDR 2nd MIX, パラッパラッパー、ウンジャマラミー、と見事に音楽ゲームばっかり。
18時半発の Flight だけど、大阪市内でそれほどしたいこともなかったので、15時頃には関西空港についてた。
鞄のなかの荷物を多少入れ替えて、壊れ物は機内持ち込みとしておいた。
飛行機に乗ってからは、酒を飲んだり、寝たりで、San Francisco での乗り換えの後無事に J.F. Kennedy に到着。
この時点で、18日の21時頃。
予約しておいた Limo で Brookhavenに到着。
- Brookhavenに着いてから
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PHENIX でのオフィスをちょっとの間使わせてもらいながら、こっちにいる Lawrence Baekeley National Lab.(LBNL) の人や LBNL の Human Resource Department の人と連絡を取って、事務手続きや、新たな STAR グループでのオフィスの確保など。
あと、長期アメリカにいる間は絶対ないとこまる Social Security Number を申請にいったり。
11月中は、LBNLが借りている、BNL内のアパートに住めるんだけど、12月からはすでに他の人が割り当ててあるので、外のアパートを探したり。
結局アパートは、最初に見に行ったところに決めてしまった。
他のを探すのも面倒だし、最初ので悪くなければそれでいいだろうということで。
- Thanks giving のあたり
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Thanks giving には、栗田さんの家に行って 各自が持ち寄った wine の tasting パーティ。
もちろん、ターキーは食べました。
日曜には、BNLに滞在してる日本人の一部(Phenix関係とその知り合い)があつまって、自分のいたアパートで、斎藤さんの娘さんの顔見せパーティ。
この日は、子供も入れて20人位集まってた。
パーティだからと、クレープ・シュゼット(クレープを並べてオレンジ・ソースで軽く煮込んだもの)を作ったら、特に奥様方に好評でした。
ある一人からは、前作ったミル・クレープを含めて、作り方の講習会して欲しいとまで言われてしまった。
うーむ、職を間違えたか(笑)。
Copyright (C) 1999-, Masashi Kaneta [雅], All rights reserved.
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