アマゾンで注文してた本とCDがやってきた。 こっちの amazon.com ではなくて、日本の amazon.co.jp での購入。 本代以外に送料1500円 + 200円/冊の手数料がかかるので、数が少ないと結構高くつくんだけど、ある程度まとめると紀ノ国屋(サンフランシスコやサンノゼにある)で買うよりも割安になる。 しかし、実際に買うときにはそれほど手数料や割高なのは気にしてない。 今回の購入額は手数料込みで約$150。
本は買う時を逃したら次に出会えるとは限らない。 したがって、本屋で棚にある本を眺めているときに、ぴぴっ、とどこかに引っかかるものがあったらとにかく買う。 その他にも、ある本の中で引用されてるもので気になるものがあったら探して手に入れる。 本は一回読めば十分で買わなくても図書館で借りてくればいいやという人も居るが、自分はそうじゃない。 自分の身近に置いといて、いつでも読み直せるようにしときたい。
本に掛けているお金は間違いなく服に掛けるよりも高いはず。 かくしてひたすら本が増えていくのであった。 なにせ、学生の頃の引っ越しで一番多くて重かったものが本だし。 引っ越しの手伝いをしてもらった人々にはその都度あきれられてたけど。
そういえば、昔ある人に「理系の人って本を読まないでしょ」って言われて驚いた(違和感を受けた)ことがあった。 未だに、その人がどういう思考・経験でそういう結論に至ったのかよく分からない。 このような食い違いが起きるのは、個々の人のもっている「○とは〜である」という分類(または価値観)が違ってることだろうと思う。 が、そもそも自分は「理系」「文系」という分類をして人を見るということをしていない(漠然と「理系とは〜である」いうものはあるとは思うけど)。 世間一般(どこにあるのか知らないけど)からいうと、自分は「理系」という分類に入れられるのであろうということは理解してる。
分類分けして「あの人がああなのは○系だから」ということに根拠を求めるのは、気持ちをすっきりさせる為の手段としては有効だと思う。 しかし、「あなたは○系だから、何々でしょ」と言われるのは、むっ、と感じることがある。 それは、自分の持ってる価値観が今話している相手と同じだと仮定されていること、またその価値観を押しつけられていること対する反発だと思う。
そういう「個人」のことを所属してる「集団」に起因するものであるとして第一原理に持ってくる、という方法は賞味期限が切れかかっているんじゃないだろうか。