木曜に出した応募の書類だけど、万が一着かなかった時のために念のため送付先担当者である専攻科長と当該研究室の教授宛に、e-mailでも送っておいた。 どちらも知ってる、というかその一人の杉立さんは元ボスなのであらたまった文章を書いて送るのは何だか変な感じ。 これは、未だにその研究室を自分の身内の様に思っているからだと思うけど。 親に対してきちんとした手紙を書くのは照れる、というのが近い感じかなぁ。 それに対し、日本時間で朝の時点で杉立さんから「書類送って下さってありがとうございます。今の時点で応募者として登録しておきます。書類がきちんと届けば、追って連絡します」という意味の返事がやってきた。 「意味の」というのは英語で書いてあったから。
日本人同士のやりとりで日本語で出したe-mailに対して英語で帰ってくるのは、はて。 単純な頭で考えると、事務的に返事が来たんだろうなと思うけど。 それ以上の深い意味があるんだろうか? 裏があるかもしれない(でもたぶん無いと思う)けど、それを探索してもしょうがないし。
そういえば、裏を読むとかそれとなくその場の雰囲気を読む、というのは日本的なものだと思う。 この「口には出さないけど、わかるでしょ、ほら」っていうのは、自分はとても苦手だった。 というか今もって苦手なので、普通の日本社会は言わば生きずらい所と言ってもいいかもしれない。 ところが、アメリカに居ると「言わないと相手は分かってくれない」社会なのでそれはそれでなんかもどかしい。
たとえば、こっちは腕を組み額にしわを寄せて考えている(だから邪魔せんといてくれ、ということを身振りで示しているつもりな)時に、「ねぇねぇ、ちょっとこんなことしてくれる」とお気楽に言われると、人格者ではないので「むっ」と一瞬不機嫌になってしまう。 いや、別にその頼み事を「やぁ〜だよ」というつもりは無いんだけど、「ちょっと邪魔するけどしれないけどいいかな」の一言あってもいいんじゃないかと。
もちろんそういうときにはこっちから「今考え事しているから、もう少し後からにしてくれる」とこっちから言えばすむ話。 向こうもそれで気を悪くする訳ではなく、「じゃぁまた後で」というだけでなにも問題はない。 問題は「そんなことは習慣の違いでその違う習慣にいるのでそれに従う(郷に入りては郷に従え、Do in Rome as the Romens do)」なんてことは頭では理解しているし、外からやってきた者がそこの習慣が自分のものじゃないと言って文句を言うのは変だということも分かっているけど、しかし感覚として「む」と感じてしまうところにある。
自分の元になっている社会における習慣に対してあまりなじんでいないけど、かと言って他の習慣を自分の血肉とするほど要領は良くない。 こまったもんだ。